高橋尚子を金メダリストに導いた、あるノートとは?

アスリートの必須アイテムといわれるのが、日々の練習メニューやコンディションを記録する「練習ノート」。このノートを活用することが、アスリートの成功に関与すると言っても過言ではない。なぜ「書くこと」が成功につながるのか?金メダリスト・高橋尚子さんに、書くことと運動の関係について伺った。

「書くこと」は自分に自信を与えてくれる

高橋さんは現役時代に「練習ノート」を書いていましたか?

私がマラソンを始めた中学生の頃から、ずっと書いていました。高校、大学と徐々に内容が細かくなって、オリンピック前にはすごく細かいことまで書いていました。
私は「どうやったら強くなれるんだろう」ということを常に模索していましたから、自分の軌跡を残せば、そこから何か強くなるヒントを得られるのではないかと考えたのです。

具体的にどんな内容を記載していたのですか?

高校生の頃はA3サイズの用紙に1ヶ月分の記録をつけていました。朝練習・昼練習それぞれの練習内容とコメント、そして体重などを書いていました。大学生になるともっと内容が細かくなり、食べた物の栄養価まで毎日書いていました。
アジア大会に出場する頃は、何時に起きて何をしたかというスケジュールも書き込み、さらに「今日は体が軽かった」とか「よく走れた」といったコメントも添えていました。

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そのノートを読み返すと、どんなことが見えてくるのでしょうか?

私たちは大会の当日に一番良い状態をもっていかなくてはいけないので、どういう体重・状況のときに良いタイムが出せるのかを分析するのに活用していました。
また、「反省点や課題点を忘れずに、きちんと乗り越えられる様に」という意味でも記録をつけていた気がします。

記録をつけることは、目標達成において有効だと思いますか?

3~4ヶ月書いていると、1ヶ月前の自分より成長した部分をしっかりと感じることができるので、書くことで自分に自信が持てるんです。その自信が、目標達成の後押しをしてくれるのではないでしょうか。
過去の自分を見返すこともできますので、現役のときもオリンピックが近づくと、過去4年間のノートを全部並べて作戦を練っていました。

金メダルは過去のもの。金メダルのために重ねた努力は一生もの。

今でもその練習ノートを保管していますか?

もちろんです。ある意味、練習ノートは金メダルよりも貴重な宝物だと思います。
金メダルも、もちろん大切な物です。コーチやスタッフの思いを一つにして獲得した物ですし、そこから私の人生も変わりましたしね。

でも、金メダルは「過去のこと」なんです。満月も次の日から徐々に欠けていくように、栄光も次の日から欠けていく。だから、いつまでも栄光にしがみついたり、栄光に酔いしれたりしてはいけないですよね。オリンピックが終わった後、テレビ局まわりをして帰ってきて、小出監督とカップラーメン1個を分けて食べて寝たんですけど、「オリンピックっていうのは、こんなに普通に過ぎて行ってしまうんだ。」って。

しかし金メダルは過去のものになっても、金メダルを獲得するために自分が重ねてきた努力の軌跡は最高の財産じゃないですか。自分がここまで仕上がってきた時間、記憶、経験…。それは今後も、生きていく上で大いに役立つことだと思います。

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現役を引退した現在、過去のノートを見返して感じることはありますか?

昔の自分に教えられている感じですね。当時は毎日が必死で、やるべきことを全部全力でやっていました。1日1日をすごく大切にしていたと思います。
でも今は、「昨日何したっけ?」というくらい、慌ただしく過ぎてしまうことが多いんです。
「もっと1日1日を大切に、頑張らなくては。」ということを、現役時代の自分に教えてもらっている気がします。

今も練習ノートのように、何か記録をつける習慣はありますか?

自分の記録はつけませんが、スポーツ解説の仕事で他の選手の話をするので、選手に関する資料を手書きでまとめています。選手たちがどんな思いで走っているのか、どんな悩みを抱えているのか、趣味や家族構成まで綴っていて、それぞれの情報を随時更新しているので資料は年々増えていくんです。
その資料を通じて、「この人はこんな悩みに直面して、乗り越えてきたんだ。」と、選手の気持ちの変化も見ることができます。そういった選手の気持ちを代弁しながら、彼らのファンを増やしていけるようなキャスターでありたいと思っています。

試合の結果が悪かったときって、選手本人が一番それを自覚して落ち込んでいるはず。だから選手が後でVTRを観たときに、私の言葉で励ますことができればいいなと思います。
アスリートにとって、辛いときに励まされる一言はすごく大きいんです。

アスリートにとって、言葉はとても大切なもの

アスリートの方々は、座右の銘のような、言葉を大切にしている印象がありますよね。

言葉はすごく大切ですね。私も高校の先生に言われた言葉が座右の銘になっています。
例えば「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ、やがて大きな花が咲く」という言葉。私は中学・高校は強い選手ではなかったので、「今やっていることは無駄なんじゃないか?」と思ったことが何度もありました。でも「今は根を生やしている時期で、いつか花を咲かせるんだ。」という意味のこの言葉を自分自身に言い聞かせて、迷わずに前に進むことができました。

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「疾風に勁草を知る」という言葉は「逆境の時にほんとに強い人がわかる」という意味なんですが、この言葉にも救われたことがあります。アジア大会当日の朝、業者の手違いで朝ごはんが届かなかったんです。気温35℃湿度98%という過酷な状況でしたが、日の丸をつけている限り「朝ごはん食べられないから出られません」とは言えないじゃないですか。その時にこの言葉を思い出して、「今こその私の本当の強さを出そう」って。結局インスタントのごはんをポットで温めて食べただけで走ったんですが、この時に日本記録を3分以上更新して、アジア記録を樹立しました。

そういう大切な言葉は、忘れてしまわないように日記を書いておくこともありました。ちなみに私は何でも「書かないと気が済まない人間」なので、例えば選手の資料なども全部手書きなんです。

高橋さんが書くことにこだわる理由は何ですか?

書く方がしっかり覚えることができるんですよ。私は方向音痴で普段は全く道を覚えられないのですが、マラソンのコースは、一度で覚えます。 シドニーオリンピックのコースは、高低差まで含めて今でもほとんど覚えています。走りながら周囲の景色を覚えるだけではなく、その時に話した内容や、感じたことなど、現場の空気感も含めて覚えるんですね。

書くこともそれと同じで、書いた瞬間の空気感を記憶することができるじゃないですか。「ホテルで締め切りの前日に書いた」とか「誰とこんな話をしながら書いていた」とか。状況も含めてインプットすることで、より覚えやすくなると思います。

書くことで自分に自信が持てる、そして自分を振り返ることもできる。これは運動でも勉強でも、同じですよね。自分の記憶にしっかりと刻んでおきたいことは、どんどん書いた方が良いと思います!

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<<高橋尚子>>98年名古屋国際女子マラソンで初優勝、以来マラソン6連勝。2000年シドニー五輪マラソン金メダルを獲得し、同年国民栄誉賞受賞。01年ベルリンで世界記録(当時)を樹立する。08年10月現役引退を発表。公益財団法人日本陸上競技連盟 理事、公益財団法人日本オリンピック委員会理事、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会委員長。その他「高橋尚子のスマイル アフリカ プロジェクト」や環境活動、スポーツキャスター、JICAオフィシャルサポーターとしても活躍中。

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